月次でせめて何か書かないとその時思ってたことずっと忘れるなぁとか年末振り返りと目標立てるみたいなことはずっとやっているのでその時困ることが多いなぁということで月次でライフログを書くことにする。5月終盤にそう思ってトピックがなさすぎて5月6月をまとめている。
月次のトピックすらまぁ忘れてしまうのでメモ帳にすごい簡単にトピックはまとめるという手法でやっていて、日記もデイリーでは全く続かないので割と諦めている。
5月 会社をやめることを決意
今考えると、何がそこまでストレスだったのかなと思ってしまうけれども、早くCOVID-19が原因のクビにならないかなと思うくらい(カナダではそうなると月$2000の保証が出る)ストレスを感じていた。
- ビザが最終的には申請間近までいっていたものの進行が遅くかなりビザとの戦いに疲弊していた
- これはなんというか単純にビザ獲得とかビザ周りでずっと相当なストレスを感じていたので限界が来てしまったことにある
- ワーホリぎりぎりの期間を攻めると今だとコロナで順調に帰れるのかとか考えることが多すぎて疲弊
- フロントエンド側でバックエンド側の不備を回収することが多いけど進捗確認圧がすごくてストレスがあった。バックエンド起因で止まっててもそっちは全然治らないのになぁと思いつつ
- ただ他のメンバーは主にCEO、CTOだったのでスタートアップで忙しいこともわかっていたので伝えたとしても忙しいのはしょうがない、になってしまっていた
- 上記に関連して忙しい(まぁ本当に忙しそうだった)が原因で色々なものの対応が遅くてストレスを感じていた
反省点としてはちょっとくれくれ君な動き方を途中からしていたかもしれない、という所であまり周りに良い意味で期待せずに自分から玉拾いにいったほうが良いな、ということは学んだ。意外と玉拾いにいってそこから対話が発生すると実はそれで問題ない、みたいなことはよくあるよなぁと。
あとは割とスキル面ではそこまで困ることもなく、意外と海外でも働けるんだなという感想だった。海外はホワイトは割と神話(自分は割と楽だった)だと感じたのでどういう会社になるかは自分のスキルセットによるけど、働くこと自体はそこまで難しくないのでは、と思った。
最終的に辞めるのか、みたいな所では永住権獲得まで多分あと1−2年かかるなとなった時に続けられるかという所であまりイメージがわかなかった所や、永住権獲得した先を想像した時に今の苦痛を耐えた上で得られるものがその対価以上か、と考えるとあまり良い景色が浮かばなかったことが決定打となり自主退職することにした。
永住権の先の景色についてはやはり英語にコンプレックスが結構ある状態だったので、その上でのカナダ生活みたいな所が中々良い景色に思えなかったこと、カナダに移住して会社で働ければ良い環境、みたいな所が良い所もあったものの期待値には全然届かない体験をしたこと、主に将来の家周りを考えた時に家賃の比率がかなり高いよなぁという所で子供がどうこうを考えた先にどこまで稼ぎ続けられるのか、とか生活面で結構不安があった。
家賃については東京でも同じことを思っていて、帰国するなら東京ではない所、というベースではカナダとどっちかを検討して辞めるか、という話だった。
その後就活は時間に限りがあったのでえいやで始めたものの、どれだけ考えてもカナダでの未来が見えなく、悩んでいる時間が苦痛だったので辞退したりしつつ帰国することを決定した。
その人の背景(英語、スキル、学歴)を含めた上での見える世界があるなという所で今の自分には海外で楽しく生活する背景がないなという所が最終的な着地。
いい所ももちろんたくさんある国だったので、英語力を高めつつ海外のCS学位とかを取ってまた戻ろうとする、なら可能性もあるし、少しは楽しめるのかなと思いながらその路線も一応の視野にいれつつ帰国する予定。ビザ周りでは本当に学歴が足を引っ張ることが多かった。
BlackLivesMatter
この件に関しては日本との温度差はすごい感じるものがあって、多分これは海外に出たことで実際にそういう人と関わることがあったからより身近に感じていたような気がする。その辺にいけば黒人の人はいるし、ご縁さえあれば友達にもなったりする環境の中、実際の動画を見たりするとひどい出来事だったなと思う。あまり歴史に踏み込んでまでは理解できていないので、そこまで踏み込みはしないものの、感覚値はなんか違ったなと思った。
OSS上で行われることに対してネガティブなコメントは結構出てたけどそもそもOSSも社会の上になりたっているので、個人的にはポジティブに見ていた。
もしかすると周りの環境ではなく、この一年で「日本人である」(+永住権持ちではない)という所での扱いの差をすごい体験したり、そういう情報を一杯みたせいで、「xxである」という背景による扱いの差を結構感じていたことが大きいのかも知れない。日本は日本人にとって当たり前なのだけど平和な世界。
退職間近で偶然製品フィードバックを見る
まだテスト導入段階ではあったものの、こういうのもあまり共有されていなかったので実際どこで使われているのか、どういう評価を得ているのか、が無くてモチベーションが下がっていた所もあったのだけど、たまたま問い合わせから「xxで使われていて、そこの評判がとても良くオススメされたんだけど詳細教えて!」というのを見て退職間近で初めて実際に自分が作ったものが使われていて、ちゃんとユーザーから評価を得られているということを知った。
社会貢献という意味ではCOVID-19にも関わるものをやっていたので、ちょっと感慨深かったがあった。
最終出社
You're the best frontend developer I've ever metとCTOから言われて少しうるうるした。カナダに戻ってくるのか?戻ってくるならCertificateでもなんでもいいからCS関連なんかとりなよ(ビザ的な背景)、戻ってきたらビールいこう、とか言われたり、仕事では色々と上手く噛み合わない所があったものの、人としてはずっと大人でいい人達だなとは感じていたし改めて感じた。日本に帰ったら何か送ろうとなった。
思考を巡らせる
カナダに来て悪かったという意味ではないものの、カナダ生活は本当に地獄のように疲弊した生活(主にVISAを追いかける、カナダ生活の基盤を作る)だったので、単純に休息することにして1週間、予定だったのが2週間一切コードも書かずにゲームやりまくったりぼーっとしたりしていた。この間にも自然に触れにいくのは一回か二回だったのでカナダにいる意味…となったりした。根本がインドア。
この間、NewsPicksのWeekly落合とかTHE UPDATEをたまたま見て、頭良い人がいっぱいいるだとか、そういう人たちが日本を変えようとしてもがいてるんだなぁとなって番組も割とポジティブに今後どうするかを話しているので、日本に対してポジティブになっていった。あとは技術系ではない本もちょこちょこ読んだりした。
そういう生活をしながら日本に帰ってどうしたいのかなと会社辞めるあたりからずっと考えていて、キーワードとしては「幸福度をどうやったら高められるか」がテーマになっていっていた。
お金については生活が苦しい、を脱した後の余裕分が増える分についてはあまり幸福度に寄与しない感覚を感じつつあった。ただ割と最近の自分の行動原点はスキルを上げる->お金が増える->幸せになれるという流れがメインで頑張ってきていたような気がするものの、この図式が割と崩れてきている感覚値があった。また、海外に出れば幸せになれるというよくわからない期待も割と崩れていた(幸せになる層も勿論いる)。
自分が出せた結論としては生活費は困らないように頑張ることはしなければならないものの、軸としては「何かしらの社会貢献を感じること」と「家族(妻)、周りの人と楽しくやっていく」な気がした。起業したいなぁというマインドもちょっとずつ芽生えてき始めている気がする。
この軸が見えてきた辺りからどうもコードに対する色々な目線が壊れてしまって新しい機能が等を見てもそれがどうユーザー体験をよくするのか、みたいなことを考えるとあまり変わらないことが多く最近はちょっと興味を失ってきつつある(知っているべきではあるものの…)。フレームワーク系のニュースはデベロッパーが幸せになるもが多いものの、ユーザー体験に転嫁されるまでは距離があるよなと感じてしまったりする。作業工数が下がったとして、デベロッパーが気持ちよくかけるようになったとして、それによって出力されているものはどれぐらい変わるんだろうな、みたいな所は結構謎かなと思っている。これは jQuery->SPA系への転換でもちょっと感じていたけどたまにユーザー体験は下がっているのでは、というものを見る気がする。
また、ここで思ったのか定かではないけど最近の決断は影響がでかすぎてほんとうにつらいので、なんか決断軸が必要だなとなっていて、最近は「ワクワクする方を選ぶ」「正しいと感じることをする」みたいな所に収めようとしている。正しいは一般的にではなくて自分の価値観で、正しいを信じるようにする。そうしないと自分の中で腹落ちしなくて他人の人生をいきるみたいになってしまう。今回の「コロナの中でクビにならず、ビザもほぼほぼ出そうなのに自主退職」、は見る人からすれば非難の対象(実際知人・家族への報告は少し怖かった)だと思うのだけど自分の中では正しかったし、正しいと今も思っている。
コーチングを受ける
コーチングを受ける事自体にはずっと興味があったものの、実際に受けるとなると結構良いお値段がして、結局受けるにいたらなかったものの、流石に帰国を考えて人生の軸が変わろうとしていて、一人での思考整理には限界があったので、受けてみたい、を解消するという言い訳も使いつつ受けてみた。
コーチング自体はこれは技術だな、と思う感じてすごい引き出せてもらえたし、相手の引き出しに答えていると割と自分の中も整理されてくるという妙な体験をして、すごい良いものだった。言語化が苦手、だとか思考が色んな所にいって整理できない、という人には結構良いのかなと思った。
割と何かを思いついてやりたいと言い出してからのやっぱやらないとかが多く(カナダだけは何故か実現されたものの)、妻にその第一次段階で出力していると振り回されている感がすごいとのことだったので、そういう一次出力に遠慮なく思っていることを言えるので良いのかなと思った。
社長はコーチングを受けている人が結構多いみたいなのも見たことがあるけど、そういう思いつきを話しづらかったり、立場的にどんどん気軽に言えなくなって、そういう時に需要があるのかなと感じた。(定かではない)
コーチングで見えた意外な所は最終的に今やりたいことは「インターネットに強く依存しない人とのつながりのある場所を作ること」だった。インターネットに関わる仕事をして、そこまで人とのつながりを維持しないタイプなのにこうなっているのは変な感じだけど納得できる。
以前は自分でもどこまで本気かは分からないけど「インターネットに関係ない仕事がしたい」とちょいちょい普通にぼやいていたものの、カナダでビザ・生活のための手段として(かもっと前から)、もしくはなんらかの武器、武装として今の職を使い始めてから言わなくなっていた(楽しいと思って始めたはずなんだけど変わってしまった…)。それを「全てのサポートが付くとして、やりたいことはなんですか」という問いで思い出す結果となった。
実際にこれが実現できるか、本当にやりたいことなのかは意識したり精査していきつつ、これを目指す上で必要なことも考えていきたい。
人とのつながりやコミュニケーションは特に自分に対して課題を感じるので、意識的に克服する時がきてしまったのかなと感じてきている。妻はこういうのが非常に上手く、周りから天才(単純に天才や向いている)的な表現をほぼほぼされているものの、聞いていて最近分かってきたのは努力の賜物であって天才では全くないし本人は苦手ということ…、なので努力でそこまでいけるもの、というのも肌感で分かってきている。
bosyuを作ってみた
社会貢献的な所で何かできないかなと思ってこっそり趣味的なbosyuを作った。
特にbosyuの内容にこだわりはないし現状調査的な側面も多く、お金は敷居として置いてるだけなので、何か相談ごと(コードを書く仕事的なのは別途の話になりますが)があればどこからか連絡頂ければ前向きに相談にのりたいと思っています。
これは社会貢献的側面もあるし、ちょっと人に教えることからの学び、視野を広げる部分やそこから繋がりができると良いなとか色々下心もあるので、何かあれば是非是非に、という感じです。
- フロントエンド相談
- 強い人ではないものの、現職ではあるので駆け出し層とかには力になれないかなぁという所
- ワーホリ相談
- エージェントは結構色がついていることも多いのと成功事例に比重が置かれる所、失敗した話はみんな隠したがるために表にないのでネガティブを共有しておきたい
- = セカンドオピニオン的に誰か使ってくれないかなという気持ち
- ポートフォリオやサービスに意見を送る
- 上手くどういうスキルなのかはわからないものの、作るときとかにリスク検知的な所とかエッジケース考慮とかそういう所が定期的に(カナダでも言われた)評価される傾向にあり、なんかそれを使えないかなと思って需要分からずやってみている
- 間違いなく何も苦労せず素でなにかの対価を届けているっぽいのだけど自分で理解・説明ができない
- この内容が正しいのかよくわからない、なんかがずれている気がする。外の立場から活かせる何かではないのかも。
- 一番需要がはてななんだけど唯一応募入っているのがこれ…やってみないとわからないものだ…
- ただ想定外の層から問い合わせが入ってきており、上手く成約まではいっていない(将来また検討してもらえるかもしれないけど)
最近はとりあえずやってみよう精神を育てようとしていて、出すだけだと特に誰にも迷惑かからないしと思って始めて、一番謎なところが唯一動いたりとか面白いなと思った箇所だった。
日本の仕事をはじめた
週3日で仕事をしつつ、空きで何か作っていきたい、で仕事を始めた。
Reactデビューすることになった。ずっとVueで基本やっていたけど手段だしまぁなんでもいいかなみたいな感覚になってしまった…。
時差がややこしすぎる。
コーディングのあれやこれや
時系列がわからないのでこのへんに置いておく。
最近は勉強してもほぼほぼもう上達、成長を感じることがなくなってきて中級から上級へ(もしくは初級から中級?)の壁みたいな所にいるような気がしており、大体なんでもここまでは急スピードでいけるものの、この辺りで飽きるというのかモチベーションが消えてしまうのでどうにかしないと感が少しある。
あとめちゃくちゃいい感じに言語化された記事(さよならアーキテクチャ議論)が出ていたのだけど、最近はスタートアップ系に関わっていることが多いということもあり、設計とか品質とスピードのバランスについて結構考えることもあった。「技術的負債」というワードも技術的負債が問題になって解消しようというフェーズまで会社が進んだ、ということでそれはポジティブなことなのではとちょっと見え方が変わってきている。
最近は「捨てやすさ」みたいな指標も実際にすごい見かけるようになってきたように感じるけど初期フェーズでは本当に色々なものがどんどん変わるので捨てては書き直して、のサイクルになるような気がしていて、めちゃくちゃ初期に頑張って設計して書いたとしても大体どこかで壊れるか捨てるかになって意味ないんだよなぁというふんわりとした感覚がある。
そういうのを繰り返してPMF?を見つけた後にプロダクトのお金のサイクルが回るようになってくると、ようやく製品の方向性がある程度固まりつつあって、どう設計するのが良いのかが見える気がするので、プロダクト開始時に全力設計はちょっと違うのかなと肌感で感じてきている。昔はそういうのにすごいイライラしていたけど、なんとなく背景が見えてきたような気がする。
あとは巷の設計論的な所は良いコードを書きたい、と思っていればいるほどすごい目に入るのだけど、そういうのを出している人は既にお金がある程度順調に回っていて、その上でプロジェクト規模がどんどんでかくなって、そこからの品質やなんやかんやの向上でやっている話だと思うのでお金がまだ回ってない所に適用するとそもそも背景が違うというか、良いコード=綺麗・設計が良い、は理想として正しいけど全てのエンジニアがそういう仕事をするものと考えていると、それは意識のずれが生じるのかなと思っている。
となると立ち上げ・新規事業でめっちゃ良い設計を吟味して書く、ということは起きることはあまりなくて、余裕のある場所で技術負債を解消する形で設計をしっかりしてリプレイスする、という形でしかそういう仕事のやり方はあまりできないのかなと思った。
とはいえ難しいのが余力ができるまでその初期コードで回す必要があるので、そこまで持ちこたえられる品質や設計は考慮しなきゃいけなくて、そのラインがどこなのか、が一番難しい所なんだろうなと最近悩みつつ正解がよくわからない。(人によっても感覚値にすごいズレがあるような気がする)
おわりに
割とカナダ生活ごちゃごちゃしていたのでそこまで整理されていなくてもいいからもっと書いたほうが自分の資産になったなぁと感じている…。せっかく外圧をかけて苦しんで何かしら変化が起きていたはずなのに恐らくもう忘れていることが多くてもったいない。
ということで日本帰国も結構状況的に大変なのですが、手を出せる所はまずはやってみるで手を出しつつ頑張っていきます!